企業情報
沿革
100年企業 津田駒工業
尊敬と共成の誓い
黎明~金沢の近代化と共に
明治維新後の近代化に後れを取った金沢では、元士族 長谷川準也氏などの尽力により、製糸会社や銅器会社が設立されていました。また、多くの鋳造業者が事業を立ち上げました。さらに、京都から絹羽二重の技術を導入し、繊維産業育成による復興が方向付けられました。
このような背景のもとで、津田米次郎翁は、私財を投げ打って絹織物用力織機の開発にあたりました。津田米次郎翁の16歳年下の甥 津田駒次郎翁もまた、その力織機開発を手伝いながら織機技術を学び、技術者のスピリッツを吸収していきます。
会社の動き | 年次 | 新製品・技術関係 |
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文久 2年 (1862) |
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明治 11年 (1878) |
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13年 (1880) |
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33年 (1900) |
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津田駒の誕生と成長~大正から終戦
1909年、津田駒次郎翁は津田式力織機の大量発注を受けて、金沢で「津田駒次郎工場」を創業しました。量産化を進める上では、規格公差やメートル法を初めて採用するなど、世界に通用する品質を重視した設計が進められました。この時期に誕生したK型織機はシリーズ化され、半世紀にわたり国内外に販売されたベストセラー織機になりました。
一方、昭和になり戦時色が濃くなる中で県内製造業の多くが軍需工場への転換を余儀なくされます。また、武器製造のための工作機械国産化が始まります。津田駒でも昭和12年、旋盤やインデックスの開発が始まりました。
会社の動き | 年次 | 新製品・技術関係 |
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42年 (1909) |
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44年 (1911) |
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大正 3年 (1914) |
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13年 (1924) |
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昭和 6年 (1931) |
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8年 (1933) |
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9年 (1934) |
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11年 (1936) |
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12年 (1937) |
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14年 (1939) |
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15年 (1940) |
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16年 (1941) |
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17年 (1942) |
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18年 (1943) |
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19年 (1944) |
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20年 (1945) |
技術革新の時代(繊維機械の自動化と工作用機器の発展)
~戦後からオイルショック
戦後日本の経済復興を支えたのは繊維産業でした。津田駒もまた繊維産業の近代化のために、織機のオートメーション化を進め、自動織機、無杼織機の開発を進めます。また、織物品質の向上と効率化のためにサイジングマシンの開発にも着手します。工作機械関連事業も次第に製品を拡大していきました。
会社の動き | 年次 | 新製品・技術関係 |
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21年 (1946) |
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24年 (1949) |
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27年 (1952) |
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28年 (1953) |
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29年 (1954) |
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30年 (1955) |
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31年 (1956) |
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32年 (1957) |
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34年 (1959) |
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35年 (1960) |
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36年 (1961) |
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37年 (1962) |
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39年 (1964) |
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40年 (1965) |
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41年 (1966) |
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42年 (1967) |
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43年 (1968) |
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44年 (1969) |
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| 45年 (1970) |
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46年 (1971) |
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47年 (1972) |
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48年 (1973) |
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49年 (1974) |
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ジェットルームの津田駒として世界へ ~オイルショックからバブル期
為替の変動相場制移行、円高、オイルショックと言う時代の流れは、国内の繊維産業に大きな打撃となり、県内では多くの織機メーカーが廃業や転業を余儀なくされました。その中で津田駒は「専門内の多角化」という経営方針を掲げ、ジェットルームの開発にまい進します。ジェットルームの市場は海外へ拡大し、世界の津田駒へと成長していきました。
工作機械関連事業も高精度NC円テーブルの開発に成功し、精密機器から重厚長大産業まで、幅広い業界で活躍する製品に成長しました。機械加工の業界では、「バイスの津田駒」、「NC円テーブルの津田駒」という評価もいただくようになりました。
会社の動き | 年次 | 新製品・技術関係 |
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50年 (1975) |
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51年 (1976) |
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52年 (1977) |
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53年 (1978) |
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54年 (1979) |
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55年 (1980) |
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56年 (1981) |
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57年 (1982) |
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58年 (1983) |
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59年 (1984) |
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60年 (1985) |
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61年 (1986) |
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62年 (1987) |
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63年 (1988) |
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平成 元年 (1989) |
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2年 (1990) |
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3年 (1991) |
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世界経済の変化~1990年代からリーマンショック
世界的なジェットルームの普及に伴い、1992年、津田駒の売上高は過去最高の704億円を記録しました。一方で、繊維産業の市場は欧米から東南アジア、東アジアへと推移し、2000年代には、中国市場が世界の繊維工場と呼ばれるほどに成長しました。同時に中国の政治や金融政策に伴う需要変動も激しくなりましたが、津田駒はジェットルームの高速化やコンピュータ化を積極的に進め、どこでも使いやすく、環境に配慮した技術開発を進めました。
工作機械関連事業は、幅広い製品ラインアップと高い性能を強みとして、国内の市場シェアを拡大しました。
会社の動き | 年次 | 新製品・技術関係 |
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4年 (1992) |
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5年 (1993) |
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7年 (1995) |
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8年 (1996) |
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9年 (1997) |
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10年 (1998) |
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12年 (2000) |
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14年 (2002) |
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15年 (2003) |
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16年 (2004) |
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17年 (2005) |
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18年 (2006) |
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19年 (2007) |
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20年 (2008) |
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新規事業の強化~リーマンショック以降
創業100周年を迎えた2009年。この年に発生したリーマンショックをきっかけに、世界の経済は一層激しい変化の時代に入りました。
津田駒は、業績の安定化を図るため新規事業の開拓に注力しました。その結果、2008年、日本初の炭素繊維素材の自動積層機の開発に成功し、コンポジット機械事業を立ち上げました。新型航空機の構造体部材の生産に貢献しています。さらに、航空機部品加工など新たな市場への足がかりを築きました。
会社の動き | 年次 | 新製品・技術関係 |
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21年 (2009) |
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22年 (2010) |
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23年 (2011) |
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24年 (2012) |
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経済産業省グローバルニッチトップ企業100選に選定 | 26年 (2014) |
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27年 (2015) |
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28年 (2016) |
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29年 (2017) |
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30年 (2018) |
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令和 元年 (2019) |
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2年 (2020) |
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3年 (2021) |
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